私の治療は、これらの薬から始まりました。

・アサコール 9錠
・プレドニン 30mg
・リンデロン坐剤


アサコールは、まったく無害でした。
9錠も飲むのが面倒なだけで、これといった副作用はありませんでした。


プレドニンは、ステロイド薬です。
ステロイドは副作用が多い薬です。
沢山ある副作用の中で、最初に私が説明されたものは、

(長期間服用すると)
・免疫力の低下(感染症にかかりやすくなる)
・骨粗鬆症
・にきび
・ムーンフェイス
・精神状態の変化(ハイになる)

でした。
私に起こった副作用は「ムーンフェイス」と「精神状態の変化」でした。


まずムーンフェイスですが、明らかに顔が変わりました。
パンパンに腫れたような感じ。
プレドニン服用を終えた後、すぐに元に戻りましたが、
その頃は人に会うのが嫌でした・・・。
写真を撮られることなんて、もっと嫌でした・・・。


精神状態は、とってもハイになりました。
疲れないし、眠くならないし、とても頭が冴えていました。
その頃、ある資格取得の為に勉強していたのですが、
すごく勉強がはかどるんです。
どんどん頭に入ってくるんです。
もちろんその試験は合格したのですが、
私の実力ではなく、プレドニンのおかげだと思っています。(笑)


骨粗鬆症については、予防するため、
週に1回「ボナロン」という骨粗鬆症の薬を飲んでいました。
その効果もあってか、骨密度に変化はありませんでした。


そんな副作用満載のプレドニンですが、
プレドニンを止めるためには、徐々に減らしていくしか方法がありません。
急に減らしたり止めたりすると、副腎不全でショック状態になることがあるそうです。
ステロイドによって炎症が抑えられているので、
ステロイドを減らした途端また出血、ということも大いにあります。

私はプレドニンを止めるまで1年かかりました。
減ったり増えたりを繰り返しながら。
30mg→20mg→15mg→10mg→7mg→5mgまでは順調に進んだのですが、
5mg→2mg→1mgあたりで、症状が不安定になり、
やっと1mgにたどり着き、次こそ止めれる!と思ったら、
また2mgに増えてガッカリ・・の繰り返しでした。


リンデロン坐剤もステロイドですが、座薬なので、
プレドニンほど副作用は無いと言われました。
ただ、座薬って、面倒くさい。
というか、最初は上手く入れれないので時間はかかるし、
せっかく入れたのにすぐ出てくるし。
イライラの連続でした。
けど人間というのは器用な動物なので、
慣れてきたら一瞬で入れれるようになりました。


座薬に抵抗があって、処方されても使わない人がいるそうですが、
私の経験では、使って良かったです。
私は直腸に炎症が多かったので、座薬を使うと、すぐに出血は治まりました。
「しぶり腹」も治まりました。





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ここまでは、潰瘍性大腸炎発症当時を振り返りました。

潰瘍性大腸炎 発症当時の話
潰瘍性大腸炎 発症当時の話
潰瘍性大腸炎 発症当時の話
潰瘍性大腸炎 発症当時の話


潰瘍性大腸炎になって今年で5年目になります。
今はとても落ち着いていて、今年こそ「緩解」と言われたい、と願っています。
(今年の検査は7月を予定しています。)


潰瘍性大腸炎のことを書いて行くにあたり、
昔の検査結果を探したり、自分の体調を書いたメモを読み返したりしていました。
なので、この勢いで、引き続き潰瘍性大腸炎のことを書いてみたいと思います。





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これは潰瘍性大腸炎にまつわる記事です。
言葉を選んで書いていますが、
なにぶん腸の病気ですので、多少汚い表現が出てくる可能性があります。
お食事中の方や、その手の話が苦手な方は、読まないでください。

大丈夫な方は、続きをどうぞ。

これは潰瘍性大腸炎にまつわる記事です。
言葉を選んで書いていますが、
なにぶん腸の病気ですので、多少汚い表現が出てくる可能性があります。
お食事中の方や、その手の話が苦手な方は、読まないでください。

大丈夫な方は、続きをどうぞ。

これは潰瘍性大腸炎にまつわる記事です。
言葉を選んで書いていますが、
なにぶん腸の病気ですので、多少汚い表現が出てくる可能性があります。
お食事中の方や、その手の話が苦手な方は、読まないでください。

大丈夫な方は、続きをどうぞ。

潰瘍性大腸炎を発症したのは30代後半でした。
出産した1年後でした。
子供が生後4ヶ月の時に離婚したので、離婚後8ヶ月。
(離婚の話はまた後日・・・)

この時もまた、バセドウ病発症の時と同じく、酷いストレスを抱えていました。


子供が産後8ヶ月の時に保育園に入りました。
待機児童が多い中、シングルマザーなので入れたわけですが、
もちろん保育園に預けるには働かなければならず、すぐに就活開始。

けど私は、生後8ヶ月の乳飲み子を抱える30代後半シングルマザー。
そんな人を雇う会社なんて皆無。

役所から何度も「仕事が決まらなければ退園してもらいます」という勧告を受け、
そのたびに申立書を提出していました。
しかしそれにも限度があります。
そろそろ本当に退園させられるかもしれないと感じた時、怪しげなバイトに行きました。
在職証明を書いてもらえるなら、どこでもいいや、と。

その仕事は、非通知で電話をかけまくるという仕事でした。
早い話が保険の勧誘で、とても胡散臭い代理店。
とにかく話術で丸め込んで契約を取ってしまえ、という感じでした。
働いている人も下衆い人だらけ。
いい大人の女同士のガチの喧嘩も頻繁に炸裂。

こんな闇の仕事があるんだ・・・と驚くと同時に、
こんな会社に身を売らなければならないシングルマザーの惨めさを痛感しました。


赤ちゃんを抱えての離婚、その上この状況。
養育費は一切なし。

そしてこの仕事を始めて1ヶ月ほど経ったころ、身体に異変が起こりました。
もう心身ともに限界だったのかもしれません。





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さて、ここまでは、バセドウ病発症と心と生活の変化を書いてみました。

甲状腺機能亢進症(バセドウ病)発症当時の話
バセドウ病と診断された後検査入院しました
辛い日々
落ち込んだ後、就活。


バセドウ病による体の変化などの細かいことは、
沢山書きたいことがあるので、追々書いていきますが、
その前に、次からは潰瘍性大腸炎について、
同じように発症からの流れを書いてみたいと思います。


こうやって自分の病気をブログに書き始めると、
どんどん思い出してきます。
私は医者ではないので、専門的な知識はありません。
なので、「こうすれば治る」とか「こうしたほうがいい」なんてことは書きません。
ただ単純に、自分に起こった症状、自分が経験した治療、
心の動きや生活のことを、記していけたらと思っています。


引き続き、よろしくお願いいたします。





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鬱状態が続いた後、
もうこれ以上落ち込めないところまで行き着いたのか、
はたまたバセドウ病が回復に向かってきたのか、
少しずつ、前向きなことを考えるようになりました。

「働こう」

と決断しました。
主治医や家族には、もう少し元気になってからにしなさいと止められたけど、
働いてみて、また倒れたら辞めればいいや、と、
社会人として無責任極まりないですが、そんな風に思いました。
とにかく今の状態を脱出することだけを考えました。

駄目なこととは分かってましたが、
病気のことは隠して就活をしました。
まだ20代であったことに加え、私は面接が大好きなので、
就活はスムーズに進み、仕事はすぐに決まりました。

しかし1年経たないうちに、バセドウ病が悪化し退職。
想定内なので、まあいっか、という感じ。


そして再び自宅療養。
けどもう鬱状態にはなりませんでした。
時間が経ち、病気を受け入れ、
自分の身体と向き合えるようになったのだと思います。

数ヶ月休んだ後、再び就活。

この時もまた、すぐに仕事は決まりました。
もちろん病気のことは伏せて。
この嘘が数年後、会社にばれて、少し大変だったのですが…。
(また機会があれば書きます。)

嘘ついて会社に入ることは罪になると分かっていましたが、
病気のことを正直に話したら雇ってもらえない、と思い込んでいました。
とにかく私は外に出て働きたかったのです。

そして会社に隠したまま働き、
体調の波は凄まじかったですが、踏ん張り続けました。


それから後、現在に至るまで、
バセドウ病が原因で仕事を辞めたことはありません。





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鬱状態から這い上がるまで、半年ほどかかりました。

まず、とにかく体がしんどい。
徒歩30秒ほどのコンビニに行くまで、途中で休憩してしまうほど、
激しい動悸と息切れと汗。
それに加えて仕事が無くなった不安。
今後病気の私を雇ってくれる会社があるのかという不安。
家族に迷惑をかけてしまった罪悪感。

毎日自分の部屋に閉じこもり、窓から空を見て涙を流していました。
こんな何の役にも立たない人間なんて必要ないよね、
いっそのこと消えてしまえたらいいのに、と、
思考は完全に負のスパイラルの中にいました。

そして1番辛かったのは、
誰よりも私の味方でいてくれる母親に辛く当たってしまうことでした。
甘えが度を超えてしまったのです。

母に酷いことを言っては、部屋で1人号泣。
どうしてこんなに優しいお母さんに・・・と。

精神状態がどんどん崩れていき、
このままでは私は本当に消えてしまうんじゃないかと思い、主治医に相談しました。
そして軽い安定剤を処方してもらいました。
母親と口論になりかけたらすぐに自分の部屋に入り、安定剤を飲み眠りました。

今思えばこの状況は、バセドウ病というより、
むしろ鬱病だったのではないかと思います。
バセドウ病は、しっかり薬を飲めば良くなってくるはずなので・・・。

こんな生活が半年ほど続きました。


今この時期を思い返しても涙が出ます。
けれども、この半年の経験が、私の価値観を大きく変え、
この時期があったからこそ、その後私の身に起こった離婚や、
新たに発症した潰瘍性大腸炎という更なる難病にも負けることなく、
今、毎日を楽しく幸せに暮らせているのだと思います。

人生に無駄なことなんて1つも無いと、
心から思います。





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その後、10日間ほど、検査入院しました。

主治医が、仕事のストレスで潰れそうになっていた私に、
「検査入院という形をとって、しばらく仕事から離れて、休養したらどうですか」
と提案してくれたのです。

救われたような気がしました。
当時いた環境から、一瞬でも逃げたかったので。

入院し色々検査しても甲状腺以外は全て正常。
心の病かとも考え、心療内科を受診しても問題ないと言われ、
結局のところ原因不明。

そもそも甲状腺の病気は、原因の特定できない病気です。
身内に甲状腺の病気を持つ者もいないので遺伝では無さそうだし、
当時の自分の状況を考えると、
「ストレス」以外、思いあたりませんでした。
職場が、酷く辛かったのです。

そしてしばらくして、病気を理由に退職しました。

先々の不安はもちろん、
親の所得が低く、私を養うことは厳しい状況だったので、
ストレスを溜めながらも働いていたのですが、
そのせいで病気になってしまい、
結果的に家族に迷惑をかけることになりました。

ここから自分を責める日々が始まりました。
鬱状態が続きました。
病気はどんどん酷くなりました。





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